(ニュース記事)責任者の先逃は朝鮮半島の伝統? 沈没事故後のドタバタもまたか…

 韓国の旅客船「セウォル号」沈没事故では、乗客を残して真っ先に逃げ出した船長の責任が糾弾されている。こうしたなか、朝鮮半島では「責任者の先逃(せんとう=率先して逃げること)」は伝統という指摘もある。ジャーナリストの室谷克実氏が考察した。

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 韓国の李承晩(イ・スンマン)初代大統領は1950年6月、北朝鮮軍が朝鮮戦争の口火を切って南進してくるや、「ソウル死守」を宣言したまでは格好良かったが、その足で家族を連れて南に逃げた。ただ逃げただけではない。ソウルを横断する漢江(ハンガン)には当時、橋が1つしかなかったが、北朝鮮軍の進撃を妨げるため、その橋を爆破して逃げた。橋を通行していたソウル市民が、まず犠牲になった。

 それだけでも「国賊」なのに、何の責任も取らないまま大統領ポストに居座った。いま李承晩は「反日を貫いた大統領」として尊敬されている。

 釜山(プサン)まで逃れた李承晩が震えながら「日本に逃げたい」と言い、米軍人に怒鳴りつけられた事実など、韓国人は誰も知らないのだ。

 79年に漢江に架かる聖水(ソンス)大橋が完工したが、地震に見舞われたわけでもないのに、15年後に自然崩落して、通行中だったバスや車は次々に漢江にのみ込まれ32人が死亡した。汚職とセットの手抜き工事が原因だった。

 97年に新しい聖水大橋が完成したが、2001年の調査で、また手抜きがあることが判明した。

 ソウルの三豊(サンプン)百貨店は開店から6年後の1989年、5階建ての建物全体が跡形もなく崩壊し、502人が死亡した。度重なる設計変更に伴う構造欠陥を抱えていたためだ。ビル全体が揺れ始めたのに、社長は営業続行を決め、崩壊したときにはいなかった。

 設計変更した構造には違法部分が多々あったが、市役所への賄賂でクリアしていたのだ。

 2003年の同国南部・大邱(テグ)市の地下鉄放火事件では、運転士が車両のドアを開けないまま逃げ、192人が死亡した。

 そして、今回の旅客船「セウォル号」沈没事故。船が傾いてから沈没するまでに少なくとも142分以上の時間があったのに、船長以下の乗務員は真っ先に逃げ、乗客を避難誘導することもなかった。《一方、22歳の女性乗組員は、自分の救命胴衣を高校生に譲るなど、最後まで乗客を守ろうとして犠牲になった》

 歴史をさかのぼれば、高麗の王朝は、蒙古軍が侵略してくるや、蒙古兵が船を操れないことを知り、黄海に浮かぶ江華(カンファ)島に逃れた。本土(半島)にいる人民を置き去りにしたのだ。李王朝の王族たちも、秀吉軍が上陸するや臣下に「防戦」を命じ、自分たちは北部に逃げた。

 〈責任者の先逃〉は、朝鮮半島の伝統だ。

責任者の先逃は朝鮮半島の伝統? 沈没事故後のドタバタもまたか…室谷克実氏 (1/2ページ) – 政治・社会 – ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20140424/frn1404241145001-n1.htm

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