カテゴリー別アーカイブ: 外国から見た日本の美徳

(ニュース記事)中国人が散らかした会場を日本の子どもが掃除=「震え上がった」「恥ずかしくてたまらない!」

2014年6月2日、中国河南省鄭州市で1日に行われたストリートダンスの国際大会での、日本の子どものある行動を中国ネットユーザーが称賛している。

あるネットユーザーは2日、中国版ツイッター上にこの会場に居合わせた人物の話として「今日、中国人として最も恥ずかしかったのは、大会の成績ではなかった。大会が終わった後、中国の親子が散らかしたごみや瓶を日本の子どもたちが自ら拾い上げ、一つ一つごみ箱に入れていったことだった。しかも、彼らは楽しそうに笑みを浮かべていた。一方は、素知らぬ顔で引きあげていく中国の観衆、もう一方はごみを片付ける日本の子ども。会場にいた私たちは、震え上がった。恥ずかしくてたまらなかった。どんなにダンスが上手でも、素養のある教育がなければ成長することはない」と書き込んだ。

この書き込みに、中国版ツイッターには以下のようなコメントが集まっている。

「日本の子どもは素晴らしい!」
「会場にごみ箱なかったの?」
「言っても駄目なら言わない方がマシ」

「民族の未来に関わることだ」
「次に自分がどう行動するかが大事!」
「国家の文明の差だろう。実現には時間がかかる」

「教育だ。子どもたちに人としての行為をおろそかにさせてはならない」
「日本という国を重視しない理由があるか?我々は本当に反省しなければならない」
「どんなに日本を批判する人がいようと、日本は確かに学び、尊敬する価値のある国。民族の素養はどれほど大切か」

「私は日本で同じようなことを実感した。中国と日本のストリートダンスはまったく別物。国内にはない多くのものが備わっている」(

中国人が散らかした会場を日本の子どもが掃除=「震え上がった」「恥ずかしくてたまらない!」―中国ネット (Record China) – Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140603-00000018-rcdc-cn

(ニュース記事)四川大地震で日本人はこんなに助けてくれた!「知らなかった…」「あざ笑った韓国を忘れない」

2014年4月14日、中国最大のポータルサイト・百度の掲示板に「四川大地震で日本人がどれほど被災地を助けてくれたか」というスレッドがある。被災地にいち早く駆けつけた日本の国際緊急援助隊の姿や、日本の全国各地で繰り広げられた一般市民や児童生徒による募金・支援活動の様子を写した画像が多数掲載されており、今もなお数多くの中国人ユーザーがコメントを寄せている。そのいくつかを紹介する。

「泣けてくる」
「日本人よ、泣かせるなよ」
「こんなに日本中が救援活動してくれてたなんて、ちっとも知らなかった」

「中国メディアはなぜ教えないんだ!わざと隠してたのか?」
「中国と比べると恥ずかしいからじゃないの」
「報道してたよ。若いから見てないだけでしょ」
「東日本大震災のとき、中国の小中高生はこんなことしていないよね」

「今なら状況は違うんじゃない?」
「国際緊急救助隊の被災地入りは軍事機密を探るためっていううわさがあったよね」
「日本人は善良だよ。韓国人と違って」

「ほんとうにありがとう!(日本語で)」
「日中友好万歳!」
「日本には心から感謝します。四川大地震の時にあざ笑った韓国は絶対に許しません!」

「日本の指導者は大嫌いだけど、日本の国民は大好き」
「2ちゃんねる見ろよ。中国の悪口すごいぜ」
「日本に行ったことのない奴に日本を悪く言う資格はない!」(

四川大地震で日本人はこんなに助けてくれた!「知らなかった…」「あざ笑った韓国を忘れない」―中国ネット (Record China) – Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140415-00000047-rcdc-cn

(ニュース記事)台湾で神になった日本人 漁民に寄り添い自決した巡査

 なぜ、世界には多くの親日国があるのか。それは、日本人が外国に大いに貢献したため、恩義を受けた諸国が自然に日本人と日本に好感を持つようになったからである。まず、世界一の親日国・台湾から話を始めよう。

 台湾に貢献した日本人といえば、戦前・台南の平野に烏山頭ダムと農業用水路を造り上げた水利技術者、八田与一が有名だが、他にも忘れてはならない人たちがいる。台湾に尽くし、台湾で「神様」として祀られている日本人がいるのだ。

 台南にある「鎮安堂・飛虎将軍廟」には日本の戦闘機乗組員3人が神様になっている。飛虎とは戦闘機のことで、飛虎将軍と呼ばれているのは杉浦茂峰・海軍兵曹長だ。

 先の大戦中の昭和19(1944)年10月12日、米機動部隊から発進したグラマン機などによる台湾総攻撃があった。高雄などの航空隊が迎撃に出撃し、当時、日本だった台湾上空で激しい空中戦が行われた。

 わが軍劣勢のなか、台湾を守るために敵機に体当たりした零戦があった。杉浦兵曹長の零戦であった。この遺体と、他の氏名不詳の日本軍人2人の遺体が、当時17歳だった呉省事氏の畑に墜落した。呉氏はその勇猛さに感動して、自分の土地に廟を建て、毎日お祈りを欠かさなかった。

 やがて、「お詣りすると願いがかなう」と評判になり、廟の人気は急上昇した。93年には3つの神像が建立され、これを新しい廟に祀ったところ、さらに信者が増えた。廟では毎日、「君が代」が斉唱され、夕方には「海ゆかば」が歌われている。線香の煙が絶えることはないという。

 もう1人の「神様」は、警察官の森川清治郎巡査である。

 森川巡査は明治30(1897)年、37歳で台湾に赴任し、今の嘉義県の副瀬村という漁村に着任した。治安の維持だけでなく、派出所の隣に無料の寺子屋を設け、住民の教育や福祉にも尽力する人格者であった。

 ある日、台湾総督府は漁業税という新税を制定した。これに対し、森川巡査は「貧しい漁民たちは、とてもこの新税は納めきれない」と、税の減免を願い出た。徴税も当時の警察官の職務の1つであり、漁民たちの厳しい暮らしぶりを知っていたからである。

 森川巡査の願い出は拒否されただけでなく、懲戒処分を受けてしまう。巡査は抗議の自決を遂げる。明治35(1902)年のことだ。村民たちは、彼らを守らんとして一命を犠牲にした森川巡査のことを慕い、ずっと語り継いでいた。

 21年後の大正12(1923)年、副瀬村でコレラなどの伝染病が大流行した。この時、森川巡査の霊が村長の夢枕に立ち、対策を教えた。その対策を講じると伝染病は収まったという。

 村人たちは「森川巡査が死後も自分たちを守ってくれている」と心から感謝し、神像を作り、「義愛公」の尊称を与えて、地元の富安宮という廟に祀った。義愛公の神像は複数作られ、各地に貸し出されるほどの人気だという。

【世界を感動させた日本】台湾で神になった日本人 漁民に寄り添い自決した巡査 (1/2ページ) – 政治・社会 – ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140225/dms1402250719000-n1.htm

(ニュース記事)韓国同様落ちぶれた小国だと思っていた日本が、実はとんでもない国だった―中国ネット

日本国内の華字紙・中文導報は10日、日中間の政治関係が依然厳しい状況のなか、日本を訪れる中国人観光客が昨年9月より回復しはじめ、9月の訪日者数が15万6201人で前年同期比28.4%増、10月が12万1555人で同74%増、11月が10万1900人で同96%増、12月も9万6700人で同84.8%増になったと報じた。中国人観光客の旺盛な購買力に日本の観光業界やメディアは舌を巻き、メディアは中国人観光客が日本で「爆買い」と形容したと伝えた。

今回の春節に日本を初めて訪れた中国人ネットユーザーが先日、「日本は韓国同様みすぼらしくて小さいと思っていたが、実際に行ってみたら、この国の精神が偉大だということに気づいた。アジアの中のヨーロッパみたいだ」とする文章を発表した。その内容は以下のとおり。

日本のトイレ。

日本のトイレには、ドイツで見た自動でフタが開き、水が流れるトイレ以来の深い印象を覚えた。日本ではさらに、お尻や便器の洗浄、温熱便座、音楽、大小便別の流水といった機能まで加わっていた。しかもお尻を洗うのにさまざな水流タイプまで選べるのだ。そんな設備が5つ星ホテルにしかないと思ったら大間違い、東京では普通の公衆トイレにも備わっているのだ。個室1つ1つの角に赤ちゃん用の椅子もある。全てが非常に人思いなのだ。

日本のゴミ。

日本の4都市を巡った最後に出た結論は「日本にはゴミがない」だった。

そう、日本では繁華街でも小さな路地でも例外なくきれい、きれい、きれいなのだ。紙クズやビニールなんか落ちていない。もっと不思議なのは、公共の場所にゴミ箱が少ないことだ。街をぶらついていたとき、商業施設の出口でようやく小さいゴミ箱を見つけることができた。興奮して近づいてみると、中にはティッシュ1枚とペットボトル1本しか入っていなかった。

地下街のレストランをぐるりと回っても、なんのゴミも油汚れも見当たらない。奇妙に思えるほど良い環境だ。天ぷらやステーキを作っているのに油のにおいもしない。なんでそんなことができるのか。きっと細部にこだわる精神がなせる技なのだろう。

日本の新幹線。

今、中国の高速鉄道は日本の新幹線と比べられるほど素晴らしい。しかし、日本の新幹線は半世紀近い営業を経てもなお、世界に誇れる乗り物なのだ。新幹線に乗って興味を引いたのは、列車本体ではなく駅の周辺設備だ。まず、見渡す限りの商店やレストランだ。そして、友好的な態度のスタッフだ。

さらに、車両を頻繁に行ったり来たりする清掃員もそうだ。彼らは列車がやって来る前から早々とホームにスタンバイし、一列に並んでいる。そして列車が到着すると速やかに乗って掃除するのだ。座席にかけられた白い布は大きな駅に到着するたびに交換される。布には何の広告やメッセージも書かれていない。われわれが乗車したときには、真新しい布だった。国内の交通機関の座席にある汚らしい布とは雲泥の差だ。

ほかにも、ホームの防護柵も特筆ものだ。国内の高速鉄道の、防護柵のないホームを見るたびにヒヤヒヤする。
(編集翻訳 城山俊樹)

韓国同様落ちぶれた小国だと思っていた日本が、実はとんでもない国だった―中国ネット (XINHUA.JP) – Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140213-00000004-xinhua-cn

(ニュース記事)独でニュースになった、ある日本女性の心遣い

石川県小松市の女性が旅先のオーストリアで拾い、日本に持ち帰ったデジタルカメラが、数か月ぶりにドイツの落とし主の元へと返された。
家族写真などが収まったカメラを返してあげたいという女性の熱意を、県警やオーストリア大使館が支援。ドイツの新聞やテレビでも「世界一周をしたカメラ」として取り上げられたといい、女性は「奇跡のような話」と喜んでいる。
滞在中は展覧会などで慌ただしく、そのまま日本に持ち帰ってしまったという。カメラのデータには、家族の写真や結婚式の様子などが収められており、「自分なら絶対に取り戻したい。大切な写真を返したい」と、持ち主捜しを決意した。
帰国後、最寄りの警察署やカメラメーカーなどに問い合わせたが、外国の遺失物への対応は「難しい」という返事ばかり。5月末になって、女性から相談を受けた県警会計課がオーストリア大使館(東京)に協力を求めてくれた。
同課の紹介を受けた女性はカメラを大使館に送付。大使館職員が撮影されていた建物などを手がかりに、持ち主を突き止めた。10月中旬、女性の元に大使館から、無事にカメラが戻ったことを伝える手紙が届いた。

独でニュースになった、ある日本女性の心遣い : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20131115-OYT1T00451.htm?from=main5