カテゴリー別アーカイブ: 外国から見た日本の美徳

(参考)『日本人に謝りたい』 ~あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ)~

『日本人に謝りたい』 ~あるユダヤ長老の懺悔(ざんげ)~
モルデカイ・モーゼ著(日新報道/1979年出版)
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe800.html

第1章 戦前の日本に体現されていたユダヤの理想
第2章 二元論的思考法 ~典型的なユダヤ的思考パターン~
第3章 日本人の知らない東京裁判の本質
第4章 日本国憲法はワイマール憲法の丸写し
第5章 共産主義はユダヤ人が作った
第6章 GHQのニューディーラーの戦後処理計画の秘密

(ニュース記事)「犬の散歩に袋」「召使雇わない」…中東が日本の美徳に注目

日本に見習うべき点を列挙したイスラム教系の啓発ページがあると、エジプト人の友人に教えてもらった。いくつか抜粋してみる。
「日本人はイヌの散歩の際、糞(ふん)を片付けるための袋を持ち歩く」
「日本は世界で最も裕福な国の一つなのに、(大部分の)国民は召し使いを雇っていない」
貧富の差が大きいエジプトでは、高収入の家庭で使用人を雇うのは一般的で、ペット
の世話なども他人任せにすることが多い。飼い主としての自覚がない人が多いから道
にたくさんの動物の糞が落ちており、すぐ踏みつけそうになる。この2点は強くうな
ずけた。
記事では「日本の学校では毎日、教師と生徒が一緒に掃除をする時間がある」「学校に道徳の授業がある」ことなども驚きをもって取り上げられていた。

「犬の散歩に袋」「召使雇わない」…中東が日本の美徳に注目 – ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/8180047/

(ニュース記事)100年前エルトゥールル号の恩返し トルコ

トルコが215人の日本人の命を救ってくれたエピソードを紹介しよう。1980年から始まったイラン・イラク戦争は85年にエスカレートし、イラクの独裁者フセインは3月17日に突然、「今から48時間後、イラン上空を飛行する航空機はすべてイラク空軍の攻撃対象となる」と一方的に宣言した。
日本政府の対応は機敏さを欠き、救援機派遣のタイムリミットはたちまち過ぎてしまった。各国民が続々と救援機で救出されてゆくのを、在イランの日本人は横目で見送るしかなかった。イランの首都テヘラン北部にはイラクのミサイルが着弾する状況で、一刻の猶予も許されない。
この時、日本が最後の望みを託したのがトルコであった。日本側を代表して、伊藤忠商事の森永堯イスタンブール事務所長は、旧知のオザル首相(後に大統領)に電話をかけ、懇願した。
しかし、トルコも多数の自国民を救出しなければならない。断られても当然の依頼であった。「今、日本が頼れる国はトルコしかありません」と迫る森永氏に、オザル首相は長い沈黙の後、ついに「オーケー」と答えてくれた。トルコ航空の2機のDC10がイランに飛び、215人の日本人は無事救出された。
トルコ航空の乗組員にとっても、攻撃開始時間直前の決死のフライトであった。しかも、このあおりで、陸路イランを脱出しなければならないトルコ人も存在したのだ。
「なぜ、そこまで日本人を優遇してくれたのか?」と聞く日本人に、トルコの人々は異口同音に答えた。「100年前のエルトゥールル号の恩返しです」と。

エルトゥールル号は1890年、明治天皇に勲章を贈呈するために来日したトルコの軍艦であった。しかし、帰国途上、紀伊半島沖で台風に襲われ、座礁して乗組員650人中587人が亡くなる大惨事となった。
この時、遭難者の救出・看護に自己犠牲的な働きをしたのが、地元・紀伊大島の島民だった。この年は漁獲量も少なく、また米価の暴騰もあり、食糧の乏しい大島ではあったが、島民は貴重な米を供出し、最後の非常食の鶏まで潰して遭難者にふるまった。
生存者63人(一説に69人)は日本政府の厚遇を受け、2隻の軍艦により丁重に母国へ送り届けられた。この話はトルコの歴史教科書に載っており、トルコ人なら誰でも知っている。トルコはこの遭難事件の恩返しを95年後にしてくれたのだ。

【中韓サヨナラ…世界の親日国】100年前エルトゥールル号の恩返し トルコ (1/2ページ) – 政治・社会 – ZAKZAK
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20131022/frn1310220734000-n1.htm